介護現場で役に立つ!介護のデータベース

このブログはCarestep Zeroが提供しています。

【5】理不尽の正体と、それでも残る責任

 

 

理不尽の正体と、それでも残る責任

 

 

進化心理学で説明できること

 

免罪符にならないこと

 

 

序章 メカニズムの理解は赦しではない

 

第1章 攻撃性と排除の進化的背景

 

第2章 環境適応の結果と個人の責任の区別

 

第3章 正義の皮を被った暴力について

 

終章 同じ道を歩いた人へ

 

 

序章

 

メカニズムの理解は赦しではない

 

 

 私自身の経験ですが、職場で理不尽な扱いを受けたことがありました。事実の確認を行わずに決めつけられ、感情論で集団から追い詰められたこともありました。相手側からしたら正論や正義だったのでしょうが、それは正論や正義の皮を被った誹謗中傷の数々でした。子供のいじめと構造的に同一の行為が、大人の職場で、介護という仕事の現場で起きていました。

 

 長い時間をかけて、それらの行為のメカニズムを理解してきました。進化心理学の文脈では、周囲の人間の攻撃性や敵意は、環境への適応の結果として説明できます。この理解は、怒りを鎮めることに一定程度役立ちます。(完全に収まるわけではありません)

 

 しかし、理解することと、免罪することは別です。ここを混同すると、加害の構造を正当化することになります。

 

 

第1章

 

攻撃性と排除の進化的背景

 

 

1 集団と異質性への反応

 

 

 進化心理学の観点から見ると、人間は長い狩猟採集の歴史の中で、集団の凝集性を維持するための心理メカニズムを発達させてきました。集団内の異質な存在に対して警戒・排除しようとする傾向は、外敵への対応と同様に適応的なものとして進化してきた可能性があります。

 

 心理学者のヘンリー・タジフェルが提唱した社会的アイデンティティ理論は、人間が内集団と外集団を区別し、内集団を優遇する傾向を持つことを示しました。この傾向は、集団の均質性が高いほど強まります。同調しない個人は、その存在だけで内集団の境界を揺るがすものとして認識されます。

 

 下記に関連記事を表示しておきますので、参考にしてください。

kohakumorugana.hatenablog.com

 

 

2 シャーデンフロイデと社会比較

 

 

 他者の不幸に快感を覚えるシャーデンフロイデは、脳科学的に実証されています。フリースバッハらの2007年の研究は、嫉妬の対象が失敗したとき、報酬系である線条体が活性化することを示しました。能力の高い他者の失敗や苦境に、無意識の快を感じる。これもまた、進化的に形成された心理メカニズムです。

 

 これを理解することで、理不尽な攻撃を受けたとき「この人間は意地悪だ」という個人への帰属から、「このメカニズムが動いている」という構造への認識に移行できます。怒りの熱量を下げることに、この理解は有効です。

 

 

3 理解が可能にすること

 

 

 神経科学者のアントニオ・ダマシオは、感情と理性は対立するものではなく、適切な意思決定には感情の処理が不可欠であることを示しました。理不尽なできごとをメカニズムとして理解することは、感情を否定することではなく、感情が認知を支配する状態から距離を取ることを可能にします。

 

 攻撃してきた相手の行動の進化的背景を理解することで、怒りや傷つきが消えるわけではありません。しかし、そのできごとに対して長期的に正確な判断を下すための認知的余裕が生まれます。

 

 

第2章

 

環境適応の結果と個人の責任の区別

 

 

1 説明は免罪ではない

 

 

 ここが重要な区別点です。進化心理学のフレームをそのままあらゆる行為に適用すると、犯罪を含むすべての行動が「適応の結果」として正当化されてしまいます。しかしそれは、この理論の正当な適用ではありません。

 

 人間には、進化的に形成された衝動を認識し、自制する能力があります。前頭前野の発達により、人間は即座の反応を抑制し、長期的な結果を考慮した判断を行うことができます。この能力こそが、道徳と責任の根拠です。

 

 

2 行動を起こした個人が責任を持つ

 

 

 集団で個人を追い詰める行為、事実確認のない決めつけ、感情論による攻撃。これらの行為には、行為者の責任が伴います。メカニズムとして理解できることと、その行為が許容されることは別の話です。

 

 法的な文脈で言えば、職場でのこれらの行為の多くは、ハラスメントとして定義される行為に相当します。誹謗中傷は名誉毀損に該当し得ます。集団による追い詰めはパワーハラスメントの要件を満たし得ます。進化心理学でメカニズムを説明できることは、法的・倫理的責任を免除しません。

 

 

3 自制の能力と意志の問題

 

 

 攻撃性の進化的背景を知りながら、それを自制することは可能です。多くの人間が毎日それをやっています。怒りを感じながら穏やかに話すこと、嫉妬を感じながら他者の成功を認めること、異質な存在への排除衝動を感じながら関与を選ぶこと。これらはすべて、前頭前野による衝動制御の実践です。

 

 自制しなかった者には、自制しなかったことへの責任があります。これは状況のせいでも、構造のせいでも、進化のせいでもありません。

 

 

第3章

 

正義の皮を被った暴力について

 

 

1 集団的制裁の心理学

 

 

 職場で経験した攻撃の多くは、個人の意地悪ではなく、集団的な正義の名のもとに行われていました。「みんながそう思っている」「あなたのやり方は間違っている」「チームの和を乱している」。これらの言葉は、個人の感情ではなく集団の規範として提示されます。

 

 社会心理学者のジョナサン・ハイトは、道徳的感情が集団の結束と外部への攻撃に利用される構造を「道徳化」として分析しています。正しい・間違いという道徳的言語が使われるとき、攻撃は攻撃として認識されにくくなります。自分たちは正しいことをしているという確信が、加害の自覚を消します。

 

 

2 子供のいじめと同じ構造

 

 

 事実確認を行わずに決めつけ、感情論で集団が個人を追い詰める。この構造は、子供のいじめと本質的に同一です。大人の職場で起きるそれが子供のいじめと異なるのは、「仕事上の問題」「チームワークの問題」という大人の言語で包まれていることだけです。

 

 その包みを剥がしてみれば、やっていることは同じです。数の力で個人を圧迫し、正当性の言語でそれを覆い、標的が沈黙するまで続けます。これは職場の問題以前に、人としての問題です。

 

 

3 ファクトチェックという抵抗

 

 

 これらの経験を言語化し、一次資料に基づいて構造を解剖し、心理学・行動経済学の理論で説明する。この作業は、単なる記録ではありません。感情論と集団圧力に対する、ファクトと論理による抵抗です。

 

 縁があってこの記事を読んだ方が、ここに書いていることを自分で確認しようとするとき、様々な理解が深まっていくと思っています。それで十分です。信じてもらう必要はありません。確認してもらうことが目的です。

 

 

終章

 

同じ道を歩いた人へ

 

 この5回の連載を通じて書いてきたことを、最後にまとめます。

 

 介護の仕事に真摯に向き合い、業界の指針に従い、利用者のために研鑽を重ねてきた人間が、その誠実さゆえに消耗し、孤立し、居場所を失ってきた。それは個人の問題ではなく、制度と構造の問題でした。

 

 やりがいを感じながら働いてきた人のやりがいは本物でしょう。学んできたことも本物でしょう。利用者に向けてきた誠実さも本物です。それらが構造に利用されていたことと、それらが本物だったことは、同時に真です。

 

 この道は行き止まりでした。しかし間違いではありませんでした。制度や構造を深く理解し、それでも向き合い続けた人間がこの記事を読んでくれているのなら、同じ道を歩んできた者として、賞賛と尊敬を送ります。

 

 

 そして、ここで立ち止まって問いを立て直すことができるなら、まだ次があります。

 

 職場の中で必要以上の責任感を背負い、誰よりも利用者・入居者のために尽くすことが、学習や研鑽の到達点である必要はありません。職員一人ひとりが「一人の人間」としてのアイデンティティを確立し、自分自身を向上させることを目的とする。それが、この構造と向き合うための健全な出発点だと、今は考えています。

 

 

【4】真摯に働くことが自分の首を絞め続けたという事実

 

 

真摯に働くことが自分の首を絞め続けたという事実

 

 

構造の中で誠実であることのコスト

 

 

序章 故障した車のタイヤを換え続けていた

 

第1章 誠実さが評価されない組織の心理学

 

第2章 仕事が増えるだけという帰結

 

第3章 制度に従うことと制度を疑うことの間で

 

終章 間違いではなかった、ただ行き止まりだった

 

 

序章

 

故障した車のタイヤを換え続けていた

 

 

 心理学、行動経済学、脳科学の文献を独学で読み続け、自分の労働環境をよくするために何ができるかを考え続けてきました。

 

 その結論が出ました。車本体が故障している状態で、タイヤを良質なものに換えても安全性は変わらない。部品一つ、機構の一部を改善しても、決定的な故障が複数ある状態では全体として大差はない。

 

 これは私個人の視野が狭かったわけではありませんでした。業界の指導内容、厚生労働省の指針が「介護の質を上げる」「介護の価値を高める」と掲げ、業界人に研鑽を求めたものでした。その呼びかけに真正面から応えることが、構造的に自分と同僚たちの首を絞める行為につながっていた。

 

 20年弱という時間をかけて、この結論にたどり着きました。

 

 

第1章

 

誠実さが評価されない組織の心理学

 

 

1 同調圧力と能力の逆説

 

 組織心理学の知見として、能力の高い個人が組織内で評価されにくい状況は珍しくありません。特に、周囲との差が可視化されるとき、その差は称賛よりも脅威として受け取られやすい。

 

 社会比較理論を提唱したレオン・フェスティンガーは、人間が自己評価を他者との比較によって行うことを示しました。自分より能力が高いと判断される他者の存在は、自己評価の低下をもたらします。その不快感を解消する方法の一つが、能力の高い他者を排除または孤立させることです。

 

 介護現場でこれが起きるとき、仕事ができる職員が孤立します。職責を押し付けられます。評価されるどころか、能力があるがゆえに負荷だけが増えていきます。

 

 

2 忖度と同調が評価される組織文化

 

 

 エドモンドソンが提唱した心理的安全性の概念は、メンバーが発言・挑戦・失敗に対して安全だと感じられるチームが高いパフォーマンスを発揮することを示しました。しかしその前提として、組織のリーダーが心理的安全性を意図的に構築しようとする意志が必要です。

 

 介護現場の多くでは、この前提が満たされていません。忖度と同調をうまくこなした職員が評価され、リーダーや指導者の立場に就く傾向があります。発言する者よりも従う者が報われる環境では、エドモンドソンが示した高パフォーマンスチームの条件は、構造的に整いません。

 

 

3 能力の可視化が摩擦を生む

 

 

 知識と技術が周囲より高い状態で職場にいることは、居心地の良さを意味しません。むしろ摩擦の源泉になります。何かを改善しようとすれば「余計なことをするな」という圧力が来ます。正確な判断をすれば「なぜそんなに細かいのか」という評価が来ます。標準を超えようとすること自体が、同調圧力への抵抗として受け取られます。

 

 この摩擦は個人の問題ではなく、組織の評価基準の問題です。しかしその摩擦を毎日経験するのは個人です。

 

 

第2章

 

仕事が増えるだけという帰結

 

 

1 できる人間に集まる負荷

 

 組織において、能力のある個人に業務が集中する現象は、行動経済学の観点から合理的に説明できます。仕事を任せる側にとって、能力の高い人材に割り振ることはリスクが低い。失敗する可能性が低く、クオリティが保証されるからです。

 

 しかしこの合理性は、任される側の負荷を増大させ続けます。能力を発揮すればするほど、次の仕事が来る。報酬は増えない。これが「仕事の成果が仕事になる」という構造です。インセンティブ設計が行われていない組織では、この帰結は必然です。

 

 

2 外国人職員の指導経験から

 

 外国人職員の指導を担うことになった時期がありました。そこには、当時所属していた法人で最初の試みであったということもあり、マニュアルもオペレーションも整備されていませんでした。そこから作成することになったのですが、万年人員不足の介護現場のシフトに入りながら受け入れの準備、指導を行うことになります。そこにインセンティブは存在しませんし、交渉も受け付けてもらえませんでした。(他の法人では違うかもしれません。)

 

 この時、同僚は今まで経験のない「外国人の指導」という変数を避けようとし、私には職責の押し付けと孤立が待っていました。

 

 これは運が悪かったのでも、個人の問題でもありません。構造の帰結です。できる人間、やる人間が引き受け、引き受けた人間に集まり続け、限界が来ても止まらない。止まる仕組みが設計されていないからです。

 

 

3 居場所を失う逆説

 

 

 最も痛烈な逆説はここにあります。業界が求めた通りに研鑽を重ね、知識と技術を磨いた結果として、自分の居場所がなくなりました。

 

 同調しない者は孤立します。能力が見える者は脅威として扱われます。問題を指摘する者は「空気を読めない人間」として排除されます。業界の指針に従えば従うほど、組織の中での居場所は失われていく。これは比喩ではなく、構造として起きていることです。

 

 

第3章

 

制度に従うことと制度を疑うことの間で

 

 

1 制度を信じて動いた時間

 

 

 私は業界が示したキャリアパスを、真正面から歩いてきました。

 

 それとは別に、心理学・行動経済学・脳科学の独学も続けました。介護の仕事をより良くするためでもあり、自分が見ている現象を理解するためでもありました。学べば学ぶほど、制度設計の矛盾が見えてきました。

 

 

2 学んだからこそ見えた構造

 

 

 心理学・行動経済学を学んだからこそ初めて見えてくる構造があります。システム正当化バイアスがなぜ沈黙を生むか。やりがい搾取がどのように内発的動機を利用するか。同調圧力がどのように能力の高い個人を排除するか。

 

 これらは、内側にいるだけでは見えません。外側から見るフレームを持って初めて、構造として認識できます。20年弱現場経験と、理論的なフレームの組み合わせが、今ここにある認識を作りました。

 

 

3 見えることのコストと価値

 

 

 構造が見えることは、楽ではありません。異動先、転職先の職場でも同じ矛盾が見えることは実体験を経てわかっています。職員個人の過負荷、組織の腐敗、制度の矛盾。それを毎日見ながら働くことは、意味を知りながら無意味な穴を掘り続けるような体験です。(「囚人の精神を崩壊させるための拷問・虐待」として用いられた手法です)

 

 ギリシャ神話のシーシュポスの岩、行動経済学者ダン・アリエリーの「レゴ実験」とも似たこの構造。

 

 しかし見えていることには価値があります。何が起きているかを正確に言語化できることは、同じ場所で同じ矛盾に直面している人間に届く言葉を生み出せることを意味します。

 

 

終章

 

間違いではなかった、ただ行き止まりだった

 

 

 20年弱という時間を振り返って、喪失感があります。誠実に研鑽を重ね、業界の指針に従い、仕事を通じて利用者と向き合ってきた時間が、構造的に自分の首を絞めていたという結論は、簡単に消化できるものではありませんでした。

 

 ただ、一つだけ言えることがあります。この道は行き止まりでしたが、間違いではありませんでした。

 

 制度を信じて動いたことは、その制度の欺瞞を正確に見抜く力を育てました。真摯に働いたことは、構造的問題を個人の経験として裏打ちする根拠になりました。学び続けたことは、今ここで言語化できる言葉を作りました。

 

 同じ道を歩いてきた方に届けば、と思い書いています。あなたが感じてきた違和感は、個人の感覚ではありませんでした。構造が生み出していた必然でした。

 

 次回は、この経験を進化心理学のフレームで整理しようと思います。周囲から向けられた理不尽の正体と、それでも個人の責任が免除されない理由についてです。

 

 

 

【3】労働力の「輸入」という延命治療

 

 

 

労働力の「輸入」という延命治療

 

 

外国人介護職員の増加が国内労働者の交渉力を

 

恒久的に破壊するメカニズム

 

 

序章 応急処置と構造改革の違い

 

第1章 グローバル化が労働組合を解体した歴史

 

第2章 介護における「輸入」の特殊性

 

第3章 延命が改革の圧力を消す

 

終章 問題を見えなくする技術

 

 

序章

 

応急処置と構造改革の違い

 

 

 介護業界の人手不足は深刻です。この事実に異論はありません。問題はその解決策として選ばれた方向性です。賃金を上げて国内の労働供給を増やすのではなく、外国から労働力を調達することで需給ギャップを埋める。この選択が何を意味するかを、今回は構造として見ていきます。

 

 応急処置と構造改革は、表面上似たように見えることがあります。どちらも「今よりよくなる」という結果をもたらす場合があるからです。しかし根本的に異なるのは、問題の原因に手をつけるかどうかです。あちこち故障した車のタイヤを交換しても、車本体の問題は残ります。

 

 

第1章

 

グローバル化が労働組合を解体した歴史

 

 

1 交渉力の源泉は代替不可能性にある

 

 

 産業革命以降、労働者の交渉力の源泉は一点に集約されます。あなたたちがいなければ生産が止まる、という事実です。代替不可能性が交渉テーブルを成立させてきました。労働組合とストライキは、この代替不可能性を集団的に行使するための仕組みです。

 

 ところが1980年代以降、資本の地理的流動性が急速に高まりました。製造業を中心に、工場を海外に移転することが現実的な選択肢になりました。「ストライキ?どうぞ。東南アジアの工場で作りますから」という状況では、組合の交渉力は根拠を失います。

 

 経済学者のリチャード・フリーマンらの研究は、製造業のグローバル化が先進国における労働組合組織率の低下と賃金上昇の鈍化に相関することを示しています。資本が移動できるのに労働は移動できない、という非対称性が交渉力の構造的な崩壊をもたらしました。

 

 

2 薄利多売競争と賃金の抑制

 

 

 日本においては、バブル崩壊以降の長期デフレ環境の中で、薄利多売の競争が激化しました。テクノロジーの発展によって生産性が向上しても、その果実は賃金上昇ではなく価格引き下げ競争に使われ、あるいは資本側に集積されました。

 

 1時間で1000個だったものが30分で1000個作れるようになったとき、賃金が上がるのではなく「では1時間で2000個作れ」という要求になる。この構造はカール・マルクスが「相対的剰余価値」と呼んだものに近く、技術革新の恩恵が労働者に分配されない傾向は、現代においても根強く残っています。

 

 

第2章

 

介護における「輸入」の特殊性

 

 

1 サービスは移転できない

 

 製造業のグローバル化は、少なくとも「工場ごと移転する」という形でした。介護は移転できません。サービスの性質上、日本国内で、日本に住む人々に対して提供するしかない。

 

 だから資本が移動する代わりに、労働力を輸入するという方向が選択されました。効果は同じです。国内労働者が賃上げを求めれば、制度的に供給される外国人労働力がその要求を無効化します。代替可能性が回復することで、交渉力は再び失われます。

 

 

2 サイクルの構造

 

 

 このサイクルを整理すると、こうなります。国内介護職員が待遇改善を求める。事業者・行政が外国人労働力の受け入れを拡大する。代替可能性が高まり、交渉力が失われる。賃金が上がらないため国内の労働供給が増えない。さらに人手不足が進み、さらに外国人を受け入れる。

 

 このサイクルは、賃金上昇を永続的に抑制するメカニズムとして機能します。一時的な人手不足の解消と引き換えに、構造改革の動機が失われ続けます。

 

 

3 外国人労働者自身の問題

 

 

 ここで明確にしておきたいのは、外国人労働者個人を批判しているのではないということです。過酷な条件のもとで懸命に働いている外国人介護職員の存在は、制度設計の問題とは切り離して考える必要があります。

 

 問題は人ではなく構造です。低賃金のまま外国人労働力で補填するという政策的選択が、国内労働者の交渉力を構造的に損ない、かつ外国人労働者自身に対しても十分な処遇を保証しない状態を固定化しているということです。

 

 

第3章

 

延命が改革の圧力を消す

 

 

1 問題が見えなくなるとき

 

 延命治療という言葉を使ったのは、比喩としてではなく構造として正確だからです。外国人労働力の供給によって現場の最低限の機能が維持されるとき、制度改革を求める政治的圧力は低下します。危機感が薄れれば、変化への動機も薄れる。

 

 行動経済学者のリチャード・セイラーとキャス・サンスティーンが「ナッジ」で示したように、人間の行動は目の前の状況に強く引っ張られます。今すぐ崩壊しないのであれば、今すぐ変えなくてよい、という判断が合理的に見えてしまう。この現在バイアスが、構造的問題の先送りを可能にします。

 

 ナッジ理論について詳しく知りたい方は、下記の記事を参照してください。

kohakumorugana.hatenablog.com

 

2 「まずやってみよう」が繰り返された理由

 

 

 介護業界でこの10年以上、同じフレーズが繰り返されてきました。「まずはやってみよう」「成功事例から学ぼう」。PDCAを回すと言いながら、CheckとActionの段階では成功事例だけが抜粋されて公表されます。母数を隠した成功率は情報として無価値ですが、それが「普及啓発」として流通し続けます。

 

 実際に法定研修へ参加された人は疑問に思ったことがあるのではないでしょうか?なぜ学習が起きないのか。それは、延命が成功しているからです。崩壊しないために学習する必要がない。現状維持が可能である限り、構造を問い直す動機は生まれにくい。これが(個人では無く、組織や制度、構造側が)学習が起こらない理由です。

 

 

3 省内矛盾が指摘されない構造

 

 

 右手で「生産性を上げよう、書類を減らそう」と言いながら、左手で加算制度を複雑化し申請書類を増やす、LIFEが良い例です。同一省庁内でこの矛盾が公開されても、誰からも指摘が入らない状態が続いています。

 

 その理由の一つは、批判が届く経路の不在です。現場職員が政策文書を読んで批判を届ける仕組みが実質的に機能していない。業界団体は事業者側の論理で動くことが多く、職員の声とは別のベクトルを持っています。そして個々の職員が矛盾を指摘するコストは高く、政策が変わる可能性は低い。合理的に沈黙が選ばれます。

 

 

終章

 

問題を見えなくする技術

 

 

 今回見てきた構造は、悪意の産物とは限りません。個々の政策立案者が意図的に搾取を設計したわけではない可能性の方が高い。ジョン・ジョストらのシステム正当化理論が示すように、制度の内側にいる人間ほど現状を正当なものとして認識しやすい。善意の官僚が、省益と政治的圧力とバイアスの中で動いた結果として、この構造が維持されます。

 

 意図の問題より構造の問題として見ることが重要なのは、対処法を考えるときに有効だからです。誰かを責めることが目的ではなく、何が起きているかを正確に把握することが出発点です。

 

 そして正確に把握した上でなお残る問いがあります。この構造を知りながら、その中で働き続けることは何を意味するのか。

 

 次回はその部分と正面から向き合っていきましょう。

うちの子たちの集合写真です。

黒い子が保護猫のモルガナ

白&灰色がメインクーンの翠(すい)

白&茶色がノルウェージャンフォレストキャットの琥珀(こはく)

です。