
魅力の発信は機能しているのか
「介護の仕事の魅力発信」に投じられた税金と成果
序章 誰も得をしないから、誰も触れない話
第1章 投じられている費用の規模
第2章 「成果」は誰が判定してきたのか
第3章 助言する側と、受注する側の距離
第4章 発信されている内容と、受け手が求めている情報のズレ
第5章 結局機能しているのか?
提言 この構造を崩すために何ができるか
結論 これは告発や避難ではなく、設計の話
序章
誰も得をしないから、誰も触れない話
「介護の仕事の魅力発信が必要だ」というワードはSNSや介護系のニュースで時々目にすることがある。テレビに出て、イベントをやって、SNSで発信する。悪いことは何もしていないように見える。
だが、これは毎年数億円規模の税金が投じられているれっきとした国の事業だ。そして問うべき問いはこれだ。
この事業は機能しているのか?
適正に運営されているのか?
これは特定の企業や個人を糾弾する話ではない。批判すべきはこの制度を発案し、毎年同じ枠組みで継続してきた厚生労働省であり、この事業を設計した人間たちである。誰か一人が悪者なわけではないからこそ逆に厄介でもある。
私が個人的に耳に障る「魅力の発信が必要だ」というワード。今日の記事は一次資料だけを頼りにその実態を追ってみたい。
第1章
投じられている費用の規模
「介護のしごと魅力発信等事業」。国の直轄分だけで令和7年度予算案は4.0億円、令和6年度は4.4億円である(出典:厚生労働省 令和7年度予算(案)の概要)。
「まあ、国レベルならそんなものか」と思うかもしれないが本番はここからだ。各都道府県も独自に同じ目的の事業をやっている。令和3年度の調査では、都道府県が実施する介護人材の「参入促進」関連事業(No.4〜16)の総額は一都道府県あたり平均約1.1億円(出典:介護のしごと魅力発信等事業の評価分析に関する調査研究 報告書)。
ここで一つフェアに補足しておきたい。この1.1億円は就職マッチングや研修支援、外国人材の受け入れ支援、貸付事業なども含んだ「参入促進」全体の予算であり、全額が国事業と同じ意味での「イメージアップのための魅力発信」に使われているわけではない。実際この枠の中で「テレビ・新聞・動画等での情報発信」を実施している都道府県は全体の約4.5割にとどまる。
とはいえ、47都道府県分を単純計算すれば、参入促進全体の予算規模はゆうに51億円を超え、国の予算の10倍以上に達する。狭義の魅力発信に絞った予算だけを都道府県ごとに集計した公式統計は存在しないが、少なくとも「介護のイメージを良くする」というほぼ同じ目的のために、国と都道府県が別々の予算・別々の枠組みで動いているという構図自体は動かない。むしろ、範囲が異なる予算がここまで重なり合ったまま整理されずに並走している状態こそが、後述する「全体を通した検証がなされてこなかった」という問題の一つの現れだとも言える。
累計イベント開催360回、延べ参加者272万人、テレビ番組16本。数字だけ見ればそれなりに動いている事業に見える。しかし問題はこの先にある。
第2章
「成果」は誰が判定してきたのか
事業が機能しているかどうかを確かめる方法は本来一つしかない。「目標に対して、どれだけの成果が出たか」を公正な立場から測定することだ。
ではこの事業では誰がそれを測ってきたのか。政府自身が発注した評価報告書を読むと答えは意外なほどはっきりしている(私個人も報告書を読んでドン引きした)。令和3年度に各実施団体が自己評価を行った結果、全団体が「想定通りの成果が出た」と回答した。
お金を受け取った側が自分の仕事を自分で採点している。しかも令和2年度まではそもそも「何をもって成功とするか」という数値基準自体が、ほとんどの活動で設定されていなかった。採点基準のないテストを自分で採点し、自分に合格点をつけている状態が数年間続いていたことになる。
さらに言えば、採点する主体だけでなく採点の「方法」そのものにも構造的な弱さがある。同報告書自身が指摘しているのだが、これまでの効果測定は「イベント参加者やコンテンツ接触者への事後アンケート」が中心で、参加しなかった人と比較する対照群が一度も設定されていない。「イベントに来た人の何割が良い印象を持ったか」は測れても、「イベントがなければどうだったか」は誰にも分からない仕組みのまま数年間運営されてきたということだ。加えて事業は単年度契約のため、参加者が半年後・一年後にどう行動したかを追跡する仕組みも存在しない。つまりこの事業は、そもそも「効果があったかどうかを証明できない設計」のまま毎年更新され続けてきたと言っていい。
そして最も肝心な事実がこれだ。この事業全体を一つのものとして効果測定し、成功だったか失敗だったかを判断したことは令和4年度に至るまで一度もない。数年間、数億円を投じ続けて「全体として意味があったのか」を誰も検証していない。
都道府県レベルも同様だ。令和3年度の基金事業434件のうち、成果を測る数値目標が設定されていなかった事業はアウトプットで11.5%、アウトカムに至っては39.4%。都道府県担当者への調査では、81.4%が「事業の成果を測定することが難しい」と回答している。これはもはや「課題」というより「測っていない」という告白に近い。
第3章
助言する側と、受注する側の距離
もう一つ、この事業の運営構造を見ていくと気になる点がある。
事業には二種類の会議体がある。「評価委員会」は採択事業者を決める審査の場であり、委員は厚労省が人選する。一方「企画委員会」は事業内容に助言する場であり、こちらの委員は受注した事業者自身が人選してよいことになっている。
自分の仕事にコメントをくれる助言者を自分で指名できる。厚労省が毎年公表している公募結果を通しで追っていくと、ある年に助言する側だった人物・団体が別の年には受注する側として名前を連ねているという往来が実際に確認できる。
この「往来」は助言者と受注者の間だけの話でもない。各年度の実施団体一覧を通しで確認すると、ある年度にコンテンツ制作側(実施主体)を務めていた団体が、別の年度には事業全体の評価・分析を担う立場に回っているケースも見受けられる。評価する側と評価される側が、年度をまたいで入れ替わりながら同じ事業の中を循環している構造だ。
誰かが不正な取引をしたという証拠ではない。この分野に詳しい専門家・事業者の数自体が限られている以上、同じ顔ぶれが行き来するのはある意味では自然なことでもある。だが「自然に回ってしまう」ことと、「それを外部からチェックする仕組みが存在するか」はまったく別の問題だ。後者は見事なまでに存在しない。
第4章
発信されている内容と、受け手が求めている情報のズレ
ここまでは「測り方」と「体制」の話をしてきたが、そもそも発信している「中身」そのものにもズレがある。
国の魅力発信等事業がこれまで一貫して発信してきたのは、介護職目線での「仕事のやりがい」や「人の役に立てる喜び」といったメッセージだ。だが、事業自体が実施したWEBアンケート調査(学生・保護者・介護職を対象、計約3,900人)を見ると、学生が就職先選びで最も重視する項目は「給与が良いこと」(45.2%)で、これが全項目中トップだった。「やりがいがあること」(30.8%)や「仕事内容自体が楽しいこと」(31.8%)はいずれもそれより低い。
つまり、受け手が最も知りたがっている情報と事業が発信し続けてきた内容には、調査によって自ら明らかにしていながら埋められてこなかったズレがある。報告書自体もこの点を課題として挙げているが、待遇面は制度上すぐには動かせない事情もあり、結果として「やりがい」を中心とした発信が翌年度以降も継続されている。
これもまた、第2章で見た「効果を検証しない設計」と根が同じ問題だと言える。仮に毎年きちんと効果測定をしていれば、「発信内容と受け手のニーズが噛み合っていない」という事実にもっと早く気づき軌道修正できていたはずだからだ。検証の仕組みがないことは、単に「反省ができない」だけでなく、「間違った方向に走り続けても誰も気づけない」という実害を生んでいる。
第5章
結局機能しているのか?
ここまでの事実を並べると、序章で立てた問いへの答えは輪郭を持ち始める。
目標は毎年「介護の仕事のイメージを良くする」という同じ言葉で語られてきた。その達成基準は長年ろくに決められていなかった。基準ができた後も採点するのは受注者自身であり、その受注者に助言する人選も受注者自身が行う。そもそも測定方法自体に対照群がなく、単年度契約のため追跡調査もできない。そして発信内容は、事業自身の調査結果とすら噛み合っていない。事業全体としての効果検証は一度も行われていない。
これらの事実は、どれも単体では「よくある行政の運用上の課題」で片付けられるかもしれない。だが並べて揃うと話は変わってくる。「税金を使って、税金を使う人たちが、税金を使う人たちの仕事を互いに評価し合う」という外部からの検証が構造的に入り込めない輪ができあがる。これは不正の告発ではなく、設計そのものの欠陥の話だ。悪意がなくてもこの設計は自動的に「検証されない自己申告」を量産する。
つまり、この事業が機能しているかどうかは実は誰にも分からない。分からないということ自体が答えなのかもしれない。
提言
この構造を崩すために何ができるか
誰か個人や一企業を吊し上げてもこの構造は変わらない。変えるべきは仕組みそのものだ。具体的には、次の三点が最低限必要だと考える。
一つ目は、事業全体を通貫した効果測定を制度上義務づけることだ。個別のイベントごとのアンケートではなく、国事業・都道府県事業を横断して「介護の仕事に良いイメージを持つ人が増えたか」を対照群付きで定点観測する仕組みがなければ、何年続けても「機能しているかどうか分からない」状態は解消されない。
二つ目は、企画委員会の人選を実施主体から切り離すことだ。助言する側を自分で選べる仕組みが残る限り、外部から見て「厳しい助言が本当になされているのか」を確認する術がない。人選は評価委員会と同様、厚労省または利害関係のない第三者機関が担うべきだ。
三つ目は、国事業と都道府県事業の対象範囲・重複を可視化することだ。第1章で見たように、両者は目的が似通いながら予算の範囲や集計の仕方が異なり、外部からは全体像が掴みにくい。少なくとも「どの予算がどの活動に、どれだけ重複せずに使われているか」を一枚で示せる資料がなければ、税金の使い道として説明責任を果たしているとは言い難い。
どれも派手な改革ではない。むしろ地味で、誰の手柄にもなりにくい提案だ。だが、この事業に足りていないのはまさにそうした地味な仕組みであり、派手な発信ではない。
結論
これは告発や避難ではなく、設計の話
この話、面白いほど「叩く相手」が見当たらない。特定の企業を名指ししたところで、その企業が制度を作ったわけではない。制度を設計し、毎年同じ枠組みで継続してきたのは厚労省であり、批判の矛先は本来そこに向くべきだ。
だからこそ、この話は誰にとってもリスクにしかならない。介護業界の人間が言えば「業界内の内輪もめ」に見られ、外部の人間が言えば「介護のことも知らないくせに」と流される。得をする人間が誰もいないから誰も触れない。
だが、数億円単位の税金が「検証なき自己申告」の上に積み上がっているという事実は、誰が触れようと触れまいとそこに存在し続けている。変えるべきは誰かを名指しすることではなく、この輪そのものを断ち切る仕組みを作ることだ。
黒澤 琥珀