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処遇改善加算の歴史 1

 

 

「交付金」が「加算」に変わった経緯

 

処遇改善加算の歴史 1

 

 

第1話 2009年

 

なぜ国は「交付金」という形を選んだのか

 

 

 介護職員の給料明細に「処遇改善加算」という項目を見たことがある人は多いはずです。しかしこの加算がなぜ生まれ、なぜ何度も名前を変えてきたのかを知っている人は現場にあまり多くないのではないでしょうか。

 

 処遇改善のための施策は2009年の「交付金」(民主党政権時代の処遇改善手当です)から始まり、2012年に「加算」へと姿を変え、その後も特定処遇改善加算、ベースアップ等支援加算と枝分かれし、2024年にようやく一本化されるという15年がかりの紆余曲折を経ています。

 

 今回は、その出発点である「介護職員処遇改善交付金」の創設から2012年の「加算化」までを解説します。介護職員の賃金を上げるための財源が、この最初の転換で「税」から「保険制度」へと移し替えられているという点にまず注目してほしいと思います。

 

 

第1章

 

なぜ2009年に「交付金」が必要だったのか

 

 

1 深刻化する人手不足と低賃金

 

 

 2009年当時の介護現場は厳しい状況にありました。介護業界全体の離職率は18.7%と全産業平均の14.6%を上回る水準にありました。有効求人倍率はピーク時(2008年12月)の2.53倍から一時的に1.34倍まで低下していたものの、依然として人手不足は解消されていません。賃金水準も産業全体と比較して低く、訪問介護員や施設介護職員の賃金は、医療福祉分野の他職種と比べても低いという調査結果が出ていました。

 

 私の勤めていた施設でも、月に夜勤を5回やって手取りが13万円台だったのを記憶しています。

 

 介護保険制度が始まって約10年が経ち、介護報酬は2003年度に-2.3%、2006年度に実質-2.4%という2度連続のマイナス改定を経験していました。基本報酬が抑えられるなかで人手不足と低賃金が同時に進行し、「制度は存在するが、支える人材が集まらない」という危機感が政策側にも共有されるようになっていたというのがこの時期の背景です。

 

2 交付金の骨格

 

 こうした状況を受けて2009年度補正予算により「介護職員処遇改善交付金」が創設されました。政権交代(2009年9月、鳩山由紀夫内閣発足)をまたぐ形で、2009年10月から2012年3月まで実施されています。

 

 制度の骨格は次の通りです。

 

 ・交付総額:約3,975億円
 ・対象:介護職員(常勤換算)
 ・給付水準:1人あたり月額平均1.5万円相当
 ・性質:介護報酬の「加算」ではなく、事業所に直接支払われる「交付金」

 

 なお、この交付金の予算措置自体は麻生政権期の平成21年度補正予算に遡りますが、実際の交付・執行は政権交代後の鳩山政権下で進みました。「民主党政権が始めた施策」という語られ方をされることが多い一方、予算の出自はやや複雑です。

 

 

3 「交付金」という選択が持つ意味

 

 

 ここで重要なのは、この時点では利用者の自己負担が発生しなかったという点です。交付金は介護報酬とは別建ての公費(税財源)による措置であり、介護保険料や利用者負担には影響しませんでした。これは、この後2012年に「加算」へ切り替わることで構造が変わる分岐点になります。

 

 

第2章

 

「交付金」から「加算」への転換(2012年)

 

 

1 なぜ加算に切り替えたのか

 

 

 交付金は時限措置(2012年3月まで)だったため、その後の継続が課題となりました。ここで厚労省が選んだ方法が、交付金と同じ財源構造を恒久的な介護報酬の「加算」として組み込むというものです。

 

 2012年度の介護報酬改定において、「介護職員処遇改善加算」が創設されました。当時の資料では、これは「介護職員の安定的確保及び資質の向上の観点から、例外的かつ経過的な取扱として、交付金と同様の仕組みで」導入されたと説明されています。

 

 つまり建前としては「あくまで例外的・経過的な措置」だったのですが、結果的にこの加算は2024年の一本化まで12年間存続し続けることになります。この「例外のはずが恒常化する」というパターンは、この後の特定処遇改善加算やベースアップ等支援加算でも繰り返し見られる処遇改善施策全体の特徴と言えそうです。

 

 

2 財源構造がもたらした変化

 

 

 制度上の見た目は「継続」ですが、財源構造は大きく変わりました。

 

 交付金(2009~2012)は財源が公費(税)で利用者負担はなく、時限的な緊急対策という位置づけでした。加算(2012~)は財源が介護報酬(保険料+公費+利用者負担)となり、利用者負担が発生し、恒久的な報酬体系の一部という位置づけに変わっています。

 

 介護報酬に組み込まれるということは、処遇改善の原資の一部を利用者の自己負担と保険料が負担する構造に変わったということです。介護職員の賃金を上げるための費用の一部が、税から保険制度(=加入者全体)へと移し替えられたという見方もできます。

 

 

3 次回の予告

 

 

 この点は、処遇改善が「国が全額負担するボーナス」ではなく「制度全体で分担するコスト」に変質した最初の転換点として押さえておく価値があります。

 

 2012年に生まれた介護職員処遇改善加算は、その後2015年度・2017年度の改定で段階的に上乗せされ、2019年には全く新しい「特定処遇改善加算」が誕生します。ここで初めて「経験・技能のある職員」という概念が登場し、勤続10年以上の介護福祉士に月8万円という当時ニュースにもなった数字が示されます。次回はこの拡充と分岐の過程を扱います。

 

魅力の発信は機能しているのか

 

 

 

 

 

魅力の発信は機能しているのか

 

 

 

「介護の仕事の魅力発信」に投じられた税金と成果

 

 

 

序章 誰も得をしないから、誰も触れない話

 

第1章 投じられている費用の規模

 

第2章 「成果」は誰が判定してきたのか

 

第3章 助言する側と、受注する側の距離

 

第4章 発信されている内容と、受け手が求めている情報のズレ

 

第5章 結局機能しているのか?

 

提言 この構造を崩すために何ができるか

 

結論 これは告発や避難ではなく、設計の話

 

 

序章

 

誰も得をしないから、誰も触れない話

 

 

 

 「介護の仕事の魅力発信が必要だ」というワードはSNSや介護系のニュースで時々目にすることがある。テレビに出て、イベントをやって、SNSで発信する。悪いことは何もしていないように見える。

 

 だが、これは毎年数億円規模の税金が投じられているれっきとした国の事業だ。そして問うべき問いはこれだ。

 

この事業は機能しているのか?

 

適正に運営されているのか?

 

 これは特定の企業や個人を糾弾する話ではない。批判すべきはこの制度を発案し、毎年同じ枠組みで継続してきた厚生労働省であり、この事業を設計した人間たちである。誰か一人が悪者なわけではないからこそ逆に厄介でもある。

 

 私が個人的に耳に障る「魅力の発信が必要だ」というワード。今日の記事は一次資料だけを頼りにその実態を追ってみたい。

 

 

第1章

 

投じられている費用の規模

 

 

 「介護のしごと魅力発信等事業」。国の直轄分だけで令和7年度予算案は4.0億円、令和6年度は4.4億円である(出典:厚生労働省 令和7年度予算(案)の概要)。

 

 「まあ、国レベルならそんなものか」と思うかもしれないが本番はここからだ。各都道府県も独自に同じ目的の事業をやっている。令和3年度の調査では、都道府県が実施する介護人材の「参入促進」関連事業(No.4〜16)の総額は一都道府県あたり平均約1.1億円(出典:介護のしごと魅力発信等事業の評価分析に関する調査研究 報告書)。

 

 ここで一つフェアに補足しておきたい。この1.1億円は就職マッチングや研修支援、外国人材の受け入れ支援、貸付事業なども含んだ「参入促進」全体の予算であり、全額が国事業と同じ意味での「イメージアップのための魅力発信」に使われているわけではない。実際この枠の中で「テレビ・新聞・動画等での情報発信」を実施している都道府県は全体の約4.5割にとどまる

 

 とはいえ、47都道府県分を単純計算すれば、参入促進全体の予算規模はゆうに51億円を超え、国の予算の10倍以上に達する。狭義の魅力発信に絞った予算だけを都道府県ごとに集計した公式統計は存在しないが、少なくとも「介護のイメージを良くする」というほぼ同じ目的のために、国と都道府県が別々の予算・別々の枠組みで動いているという構図自体は動かない。むしろ、範囲が異なる予算がここまで重なり合ったまま整理されずに並走している状態こそが、後述する「全体を通した検証がなされてこなかった」という問題の一つの現れだとも言える。

 

 累計イベント開催360回、延べ参加者272万人、テレビ番組16本。数字だけ見ればそれなりに動いている事業に見える。しかし問題はこの先にある。

 

 

第2章

 

「成果」は誰が判定してきたのか

 

 

 事業が機能しているかどうかを確かめる方法は本来一つしかない。「目標に対して、どれだけの成果が出たか」を公正な立場から測定することだ。

 

 ではこの事業では誰がそれを測ってきたのか。政府自身が発注した評価報告書を読むと答えは意外なほどはっきりしている(私個人も報告書を読んでドン引きした)。令和3年度に各実施団体が自己評価を行った結果、全団体が「想定通りの成果が出た」と回答した

 

 お金を受け取った側が自分の仕事を自分で採点している。しかも令和2年度まではそもそも「何をもって成功とするか」という数値基準自体が、ほとんどの活動で設定されていなかった。採点基準のないテストを自分で採点し、自分に合格点をつけている状態が数年間続いていたことになる。

 

 さらに言えば、採点する主体だけでなく採点の「方法」そのものにも構造的な弱さがある。同報告書自身が指摘しているのだが、これまでの効果測定は「イベント参加者やコンテンツ接触者への事後アンケート」が中心で、参加しなかった人と比較する対照群が一度も設定されていない。「イベントに来た人の何割が良い印象を持ったか」は測れても、「イベントがなければどうだったか」は誰にも分からない仕組みのまま数年間運営されてきたということだ。加えて事業は単年度契約のため、参加者が半年後・一年後にどう行動したかを追跡する仕組みも存在しない。つまりこの事業は、そもそも「効果があったかどうかを証明できない設計」のまま毎年更新され続けてきたと言っていい。

 

 そして最も肝心な事実がこれだ。この事業全体を一つのものとして効果測定し、成功だったか失敗だったかを判断したことは令和4年度に至るまで一度もない。数年間、数億円を投じ続けて「全体として意味があったのか」を誰も検証していない。

 

 都道府県レベルも同様だ。令和3年度の基金事業434件のうち、成果を測る数値目標が設定されていなかった事業はアウトプットで11.5%、アウトカムに至っては39.4%。都道府県担当者への調査では、81.4%が「事業の成果を測定することが難しい」と回答している。これはもはや「課題」というより「測っていない」という告白に近い。

 

 

第3章

 

助言する側と、受注する側の距離

 

 

 もう一つ、この事業の運営構造を見ていくと気になる点がある。

 

 事業には二種類の会議体がある。「評価委員会」は採択事業者を決める審査の場であり、委員は厚労省が人選する。一方「企画委員会」は事業内容に助言する場であり、こちらの委員は受注した事業者自身が人選してよいことになっている。

 

 自分の仕事にコメントをくれる助言者を自分で指名できる。厚労省が毎年公表している公募結果を通しで追っていくと、ある年に助言する側だった人物・団体が別の年には受注する側として名前を連ねているという往来が実際に確認できる。

 

 この「往来」は助言者と受注者の間だけの話でもない。各年度の実施団体一覧を通しで確認すると、ある年度にコンテンツ制作側(実施主体)を務めていた団体が、別の年度には事業全体の評価・分析を担う立場に回っているケースも見受けられる。評価する側と評価される側が、年度をまたいで入れ替わりながら同じ事業の中を循環している構造だ。

 

 誰かが不正な取引をしたという証拠ではない。この分野に詳しい専門家・事業者の数自体が限られている以上、同じ顔ぶれが行き来するのはある意味では自然なことでもある。だが「自然に回ってしまう」ことと、「それを外部からチェックする仕組みが存在するか」はまったく別の問題だ。後者は見事なまでに存在しない。

 

 

第4章

 

発信されている内容と、受け手が求めている情報のズレ

 

 

 ここまでは「測り方」と「体制」の話をしてきたが、そもそも発信している「中身」そのものにもズレがある。

 

 国の魅力発信等事業がこれまで一貫して発信してきたのは、介護職目線での「仕事のやりがい」や「人の役に立てる喜び」といったメッセージだ。だが、事業自体が実施したWEBアンケート調査(学生・保護者・介護職を対象、計約3,900人)を見ると、学生が就職先選びで最も重視する項目は「給与が良いこと」(45.2%)で、これが全項目中トップだった。「やりがいがあること」(30.8%)や「仕事内容自体が楽しいこと」(31.8%)はいずれもそれより低い。

 

 つまり、受け手が最も知りたがっている情報と事業が発信し続けてきた内容には、調査によって自ら明らかにしていながら埋められてこなかったズレがある。報告書自体もこの点を課題として挙げているが、待遇面は制度上すぐには動かせない事情もあり、結果として「やりがい」を中心とした発信が翌年度以降も継続されている。

 

 これもまた、第2章で見た「効果を検証しない設計」と根が同じ問題だと言える。仮に毎年きちんと効果測定をしていれば、「発信内容と受け手のニーズが噛み合っていない」という事実にもっと早く気づき軌道修正できていたはずだからだ。検証の仕組みがないことは、単に「反省ができない」だけでなく、「間違った方向に走り続けても誰も気づけない」という実害を生んでいる。

 

 

第5章

 

結局機能しているのか?

 

 

 ここまでの事実を並べると、序章で立てた問いへの答えは輪郭を持ち始める。

 

 目標は毎年「介護の仕事のイメージを良くする」という同じ言葉で語られてきた。その達成基準は長年ろくに決められていなかった。基準ができた後も採点するのは受注者自身であり、その受注者に助言する人選も受注者自身が行う。そもそも測定方法自体に対照群がなく、単年度契約のため追跡調査もできない。そして発信内容は、事業自身の調査結果とすら噛み合っていない。事業全体としての効果検証は一度も行われていない。

 

 これらの事実は、どれも単体では「よくある行政の運用上の課題」で片付けられるかもしれない。だが並べて揃うと話は変わってくる。「税金を使って、税金を使う人たちが、税金を使う人たちの仕事を互いに評価し合う」という外部からの検証が構造的に入り込めない輪ができあがる。これは不正の告発ではなく、設計そのものの欠陥の話だ。悪意がなくてもこの設計は自動的に「検証されない自己申告」を量産する。

 

 つまり、この事業が機能しているかどうかは実は誰にも分からない。分からないということ自体が答えなのかもしれない。

 

 

提言

 

この構造を崩すために何ができるか

 

 

 誰か個人や一企業を吊し上げてもこの構造は変わらない。変えるべきは仕組みそのものだ。具体的には、次の三点が最低限必要だと考える。

 

 一つ目は、事業全体を通貫した効果測定を制度上義務づけることだ。個別のイベントごとのアンケートではなく、国事業・都道府県事業を横断して「介護の仕事に良いイメージを持つ人が増えたか」を対照群付きで定点観測する仕組みがなければ、何年続けても「機能しているかどうか分からない」状態は解消されない。

 

 二つ目は、企画委員会の人選を実施主体から切り離すことだ。助言する側を自分で選べる仕組みが残る限り、外部から見て「厳しい助言が本当になされているのか」を確認する術がない。人選は評価委員会と同様、厚労省または利害関係のない第三者機関が担うべきだ。

 

 三つ目は、国事業と都道府県事業の対象範囲・重複を可視化することだ。第1章で見たように、両者は目的が似通いながら予算の範囲や集計の仕方が異なり、外部からは全体像が掴みにくい。少なくとも「どの予算がどの活動に、どれだけ重複せずに使われているか」を一枚で示せる資料がなければ、税金の使い道として説明責任を果たしているとは言い難い。

 

 どれも派手な改革ではない。むしろ地味で、誰の手柄にもなりにくい提案だ。だが、この事業に足りていないのはまさにそうした地味な仕組みであり、派手な発信ではない。

 

 

結論

 

これは告発や避難ではなく、設計の話

 

 

 この話、面白いほど「叩く相手」が見当たらない。特定の企業を名指ししたところで、その企業が制度を作ったわけではない。制度を設計し、毎年同じ枠組みで継続してきたのは厚労省であり、批判の矛先は本来そこに向くべきだ。

 

 だからこそ、この話は誰にとってもリスクにしかならない。介護業界の人間が言えば「業界内の内輪もめ」に見られ、外部の人間が言えば「介護のことも知らないくせに」と流される。得をする人間が誰もいないから誰も触れない。

 

 だが、数億円単位の税金が「検証なき自己申告」の上に積み上がっているという事実は、誰が触れようと触れまいとそこに存在し続けている。変えるべきは誰かを名指しすることではなく、この輪そのものを断ち切る仕組みを作ることだ。

 

 

黒澤 琥珀

 

 

【介護版】「正直者が損をしない」制度をどう作るか 4

 

 

 

「正直者が損をしない」制度をどう作るか

 

 

リニエンシーと公正な処分基準の実装、導入ロードマップ

 

 

最終話

 

 

序章 文化は、制度に支えられて初めて根づく

 

第1章 リニエンシーを、就業規則に落とし込む

 

第2章 過失・故意を区別する、実務的な判断基準表

 

第3章 管理職・リーダー研修への組み込み

 

第4章 導入ロードマップ  何から始めるべきか

 

終章 処分の公正さは、組織の学習能力そのものである

 

 

序章

 

文化は、制度に支えられて初めて根づく

 

 

 第3話までで、報告様式、管理者の初期対応、評価指標、フィードバックループといった、日々の運用レベルでの「デフォルト設定」を提案してきました。しかし、これらの現場レベルの工夫だけでは、まだ土台として不十分です。もし報告の結果、依然として処分基準が不透明・不公平なままであれば、どれだけ現場の空気を整えても、職員の根底にある「バレたら終わりだ」という不安は解消されません。

 

 最終話となる今回は、組織のルールそのもの、すなわち懲戒制度・処分基準を、これまで論じてきた心理学的知見に基づいてどう再設計するか、そして、これを絵に描いた餅で終わらせずに組織へ実装するためのロードマップを提示します。

 

 

第1章

 

リニエンシーを、就業規則に落とし込む

 

 

 第1話で紹介した「自ら申し出た場合は処分を軽減する」という発想を、抽象的な理念ではなく、実際に運用できるルールとして明文化する必要があります。ポイントは、「軽減される条件」を具体的かつ客観的に定義することです。曖昧なままでは、結局「言った方が得かどうか」を職員が確信できず、リニエンシーは機能しません。

 

 明文化すべき要素の例を挙げます。

 

 軽減の対象となる自主申告の定義として、「施設側が事実を認識・特定する前に、本人が自発的に申し出た場合」を明確な線引きとする。調査が始まってから「実は」と話し始めるケースは対象外であることも明記する。軽減の程度として、例えば「通常であれば減給相当の事案であっても、自主申告かつ調査への全面協力があった場合は、口頭注意・再教育にとどめる」といった、具体的な処分段階の対応表を作成する。軽減の対象外となる行為として、隠蔽の意図が明確な虚偽報告、証拠隠滅、他者への責任転嫁を伴う場合は、自主申告があったとしても軽減の対象としない。

 

 このルールを就業規則や内部規程として文書化し、全職員に周知すること自体が極めて重要です。制度が存在していても、その存在を職員が知らなければ、行動選択の天秤に乗ってきません。入職時研修や年次の全体研修で、必ずこの制度について説明する機会を設けることを推奨します。

 

 

第2章

 

過失・故意を区別する、実務的な判断基準表

 

 

 第2話で扱ったジャスト・カルチャーの三分類(過失/リスクを伴う行動/故意の違反)を、実際の判断の場で使える具体的なチェックリストとして整備します。抽象的な「故意か過失か」という問いだけでは、評価者の主観やその日の感情(後知恵バイアスを含む)に左右されてしまうためです。

 

 判断のための問いの例を挙げます。

 

 同様の状況に置かれた、同程度の経験・訓練を受けた別の職員が、同じ行動を取った可能性はどの程度あるか(可能性が高いほど、個人よりも仕組みの問題として扱う)。当該職員は、その行動のリスクについて、事前に明確な教育・周知を受けていたか(受けていなければ、責任の一部は組織の教育体制にある)。発覚の経緯は、自主申告か、第三者からの指摘か。発覚後、事実確認への協力は得られたか、それとも抵抗・隠蔽の兆候があったか。過去に同様の行為について、明確な注意喚起や再発防止指導が本人になされていたか。

 

 これらの問いに沿って評価することで、評価者個人の「印象」や「その日の気分」に判断が引きずられるリスクを減らし、処分の一貫性、ひいては職員から見た「納得感」を高めることができます。可能であれば、これらの判断は管理者一人の裁量に委ねず、複数名(施設長、事務長、必要に応じて外部の社労士など)による合議制とすることで、第2話で述べた根本的な帰属の誤りや後知恵バイアスを、複数の視点でチェックし合う仕組みにすることも有効です。

 

 

第3章

 

管理職・リーダー研修への組み込み

 

 

 どれだけ制度を整えても、それを運用する管理者・リーダー自身がこれらの心理学的な知見を理解していなければ、現場では機能しません。特に重要なのは、評価者自身が自分の判断に潜むバイアスを自覚することです。

 

 具体的な研修コンテンツの提案として、以下を含めることを推奨します。

 

 後知恵バイアスの体験学習として、実際に過去に起きた事故事例(匿名化・一般化したもの)を使い、「事故発生前の情報」のみを提示した状態で、「あなたならこの時点で対応できたか」を考えさせるワークを行う。結果を知った後の判断と、結果を知る前の判断がいかに異なるかを体感してもらう。初期対応スクリプトのロールプレイとして、第3話で紹介した「まず、ありがとうと言う」スクリプトを、実際の場面を想定してロールプレイで練習する。ジャスト・カルチャー判断基準表の実践演習として、実際の(架空の)ケースを使い、複数の管理職で判断基準表に沿って評価し、意見のズレを確認・議論する。

 

 このような研修を、単発の座学ではなく、年に一度は必ず振り返る定例プログラムとして組み込むことで、組織としての判断の一貫性を長期的に維持していくことができます。

 

 

第4章

 

導入ロードマップ――何から始めるべきか

 

 

 最後に、これまで4話にわたって提案してきた施策を、実際にどの順序で導入していくべきか、現実的なロードマップとして整理します。すべてを一度に導入しようとすると、現場の混乱や形骸化を招くため、段階を踏むことを推奨します。

 

フェーズ1(1〜2ヶ月目):土台づくり

 

 管理職・リーダー層への説明会を実施し、「なぜこの変更をするのか」という理念(損失回避バイアス、ジャスト・カルチャーの考え方)を共有する。報告書の様式を見直す(第3話・第1章)。「まず、ありがとうと言う」初期対応スクリプトを管理職に周知し、実践を開始する。

 

フェーズ2(3〜4ヶ月目):運用の定着

 

 申し送り・ミーティングに「今日気になったことは?」の定型質問を組み込む。月次のフィードバック共有(「今月の気づきから、こう変わりました」)を開始する。評価指標を「件数」から「構造的リスクへの言及率」「対策実行率」へと段階的に移行する。

 

フェーズ3(5〜6ヶ月目):制度の明文化

 

 リニエンシー制度と、過失・故意の判断基準表を正式な内部規程として文書化する。全職員向けの説明会・研修を実施し、制度の存在と運用ルールを周知する。

 

フェーズ4(継続的サイクル):振り返りと改善

 

 半年〜1年ごとに、報告件数・質・対策実行率などの指標を振り返り、制度自体が形骸化していないか(グッドハートの法則の罠に陥っていないか)を定期的に点検する。管理職研修を年次で継続し、新任のリーダーにも同じ理念が浸透するようにする。

 

 このように段階を踏むことで、単なるスローガンの掲示ではなく、実際に職員の行動選択に影響を与える、機能する仕組みとして根づかせることができます。

 

 

終章

 

処分の公正さは、組織の学習能力そのものである

 

 

 4話にわたって見てきたように、「処分がケースごとに違う」という現場の素朴な違和感は、単なる不公平感の問題にとどまらず、組織がどれだけ人間の心理を正しく理解し、それを制度設計に反映できているかという、組織の成熟度そのものを映し出す鏡でした。

 

 損失回避バイアスを前提にリニエンシーを設計すること。評価者自身のバイアスを自覚し、判断基準を明文化すること。件数ではなく質を追いかけること。そして、報告という行為そのものに「ありがとう」という言葉を添えること。これらは決して特別な理論ではなく、日々の小さな設計の積み重ねです。

 

 事故報告書の数字だけを見て一喜一憂するのではなく、その数字の裏にある職員一人ひとりの心理と、それを形作っている組織のデフォルト設定に目を向けること。それこそが、利用者様にとっても、そこで働く職員にとっても、真に安全で健全な介護現場をつくる第一歩になるはずです。

 

 今回のテーマを通して話してきたことが、そのままの形でなくとも組織に適した形で取り入れられることがあれば、組織の健全化と職員の働きやすさは飛躍的に向上すると考えています。特に繰り返しお伝えしている「デフォルト設定」は非常に強いものです。今一度、自分の組織の対応を見直していただくことで、法人全体の職員の離職率にも影響があると考えます。